【田村洋一】ちっぽけな知識や経験を棚上げする

企業でクライアント相手にコーチングを始めた17年前、自分はまだ30代半ばの若造でした。クライアントは歳上の経営者であることも多く、自分よりも経験豊かな彼らに教示して指導するなどとは考えられませんでした。自ずと問いかけして傾聴することをひたすら続けていました。

実はそれが効果的だったのです。コーチングはコーチがクライアントに教え諭すのではなく、クライアントの気づきを促すプロセスですから、当然といえば当然です。

ところが、経験を重ねてくると自分にも多少の知恵がついてきます。クライアントがはまっている罠や抜け出せない癖が「傍目八目」で「見える」ようになってくるのです。
そして17年も経つとクライアントも自分に比べて相対的に若くなってきます。自分と同年齢や歳下の経営者であるケースも増えてきます。
そうなると、自分に見えていて相手に見えていない(と思われる)ことを、「こうではないのですか」などと教示したり指導したりしたい衝動に駆られることになります。
「もっときちんと権限移譲したほうがいいのでは」とか「もっと部下を信頼したほうがいいのでは」などと告げたくなってくるのです。

それこそが罠です。

クライアントの問題を早々に「わかった」と思い込むことこそが、経験のあるコーチが陥りやすい典型的な罠なのです。

プロのコーチは、決してクライアントを変えようとしてはならない。 クライアントは自分の気づきと自分の意志で自ずと変わっていくことができる存在なのです。他人に教えられたり導かれたりして無理やり変わるよりも、必要な時間をかけて自ら変容したほうがいいのです。

多くの経営者と接していると、企業経営を引退したらエグゼクティブコーチングを仕事にしたいと言う人に会うことがあります。
非常にいいことだと思います。経営の第一線を退いた人が、次世代の経営者の育成をしたいと考えるのも自然なことかもしれません。

しかし、それほど簡単なことでもありません。自分が企業経営の経験から学んだことを教えてやろう、若い経営者を育ててやろう、などという親心でコーチングしたい人は、どうしても自分中心の思考から抜け出しにくいのです。教えてやろうとすればするほど虚心坦懐に相手の境遇や心境に耳を傾けることは少なくなります。

自分にどれほど経験や知識があっても、あえてそれを脇に置いて、むしろ自分の無知の領域に踏み出さなければならない。それができる人は少ないのです。

知れば知るほど実は自分はまだほとんど知らないということに気づく。
ちっぽけな知識や経験を、ちっぽけだと客観視して棚上げしておく。
既知から未知へと旅することが決定的に重要なのです。

田村洋一プロフィール
PFCのエグゼクティブ・コーチング