【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】第35回ブラジルW杯での日本代表の敗戦経験を振り返る~日本を強くするために必要な3つの日本の文化の変革~

matsu_seminar2014年のW杯で、残念ながら日本代表はグループリーグ敗退という結果に終わった。一勝もできなかった。

人が成長するためには経験を積むことしかない、経験こそが人を成長させる、という話をよく聞く。

しかし、その表現はいささか不十分で、経験を積むだけでは人は成長しない。

経験から学ぶことができてはじめて成長につながるのだ。効果的に経験から学ぶためには、少なくとも、きちんと経験を振り返ること(反省・内省)が欠かせない。

監督、選手たち、スタッフ、サッカー協会、そして、サポーター、一般のファン、と、それぞれが今回のW杯で経験したことを、将来に活かすように振り返ることができるかが問われる。

私自身も、勝手ながら近いうちに、「チーム作り」という点において何が足りなかったのか、今後に活かすべきことは何か、日本代表チームのスタッフの方への取材を通して、今回のW杯の経験からの振り返りを試みるつもりでいる。私達一人一人の振り返る力、そしてそれを将来に活かす力が、日本サッカーの未来を作っていく。

今回のW杯を振り返ったとき、大袈裟にいえば、日本特有の文化を変えなければいけないのではないかと思ったことが3つある。文化は、我々一般のファンの意識の深層を形成しているわけで、一朝一夕に変わるものではない。しかし一方で、文化だから、例えば我々一般市民やビジネスパーソン達の、いわば日々の行動を変えることが、サッカーを強くすることにつながるのではないかとも思うのだ。

W杯を振り返るべき領域は広いが、この3つに絞って触れておきたい。

1つ目は、コメントの文化だ。

敗戦の原因は様々に取り沙汰されている。

その主たるものとしては、いわく、キャンプ地の選定に失敗し直前のコンディションの調整ができなかった、いわく、交代のカードを残すなど監督の采配にミスがあった、いわく、そもそも力不足で世界との差があったなど。

どれも原因は1つに決まるものではないし、どれも当たっているだろう。

その中で、選手達の口からコメントとして最もよく聞いたのが、「自分達のサッカーができなかった」というものだ。

この言葉を聞いたときに、まるで「相撲」だと思った。日本の国技である相撲取り達は昔から、取り組み前には「自分の相撲をとるだけ」と言い、試合後には「自分の相撲ができた(できなかった)」とコメントしてきた。多くを語るものではないという不文律があるのだろう。コメントを求める側も、それでよしとしてきた。思考停止状態のコミュニケーションだ。

我々も、同じような状況に陥っていないだろうか。例えば、目標達成するために何をするのかを問うとき、相手が具体的に何をするのか自分が理解できるところまで聞き、目標達成できなかったときになぜかを語るときにも、自分で明確だと思う理由を語れているだろうか。

2つ目に変えなければならないと思うのは、全試合全力の文化だ。

「絶対に負けられない戦い」をすべての試合に課すのを絶対にやめなければならないと思う。マスコミが視聴率をあげたいという狙いがあるのだろう。親善試合からずっとこのフレーズを使っている。絶対に負けられない戦いは、逆に、勝てばよい、勝ったからよかったで済ます風潮を生んでしまっているように感じる。

この背景にはおそらく、「高校野球」から連なるトーナメント文化があるのではないか。本来野球も、プロの優勝チームであってもリーグ戦で年間50試合は負けるのだから、勝つことだけに拘るより、真に強くなっているかどうかを見極めることが大切だ。

サッカージャーナリストの杉山茂樹氏は、「W杯は絶対に負けられない戦いならぬ、絶対に負ける戦いだ」とまで言う。(出所:「負けに向き合う勇気」杉山茂樹)W杯では次々と敗者が誕生する。本大会に至るまでに170か国が敗退し、本大会でも32チーム中31チームが敗者なのだから、日本だって遅かれ早かれ必ず負けるのだ。

翻ってみれば、我々企業でも、すべてにおいて頑張れ、すべてで勝てという態度をとっていないか。これでは戦略不在だ。リソースは限られているのだから、すべてで頑張れ、すべてで勝てというのは土台無理な話だ。反省すべきは負けたことそのものではない。すべてに頑張るとしている態度や負けを恐れてチャレンジしない姿勢、あるいは勝てばよかったで済ましてしまうようなことがあればそれこそ、反省しなければいけないのではないか。

3つ目は、お祭りの文化だ。

W杯や五輪が終わると、つくづく、多くの人はサッカーやスポーツを見ていたのではなく、お祭りに参加してそこにいたんだなあと思ってしまう。

W杯や五輪は確かにお祭りだが、地域のお祭りではない。世界の祭典だ。しかし、多くの人は、日本戦だけ、日本人のメダルが何個かだけに興味を注ぐ。
その国のサッカーが真に強くなるには、サッカーそのものを見て楽しむ人がどれだけ増えるかにかかっている。

今回のW杯は、抜群に面白い試合が多かった。にも関わらず、日本戦以外の試合を見た人がどの程度いたかというと、過去のW杯に比べて随分減ってしまっていたのではないかというのが私の肌感覚だ。このことが、日本の敗戦の遠因になっていると思うのは私だけだろうか。

敗戦の意味は、今は決して分からないものだ。何年も経って、敗戦という経験を活かしたときにはじめて、敗戦の意味があったと分かるものであるはずだ。

是非とも何年かたったときに、ああブラジルW杯での敗戦があって今日がある、と、心から思う日を迎えたいと心から願う。