目指せグローバル才女!薫子の「飛んだ人生」〜人間万事塞翁が馬:転職3社目、3ヶ月でクビになるまで

keikoS_jpgこのところ多様な国籍の参加者からなるチームビルディングセッションをファシリテートする仕事が多かったのだが、昨日は久しぶりに「海外駐在員に対する研修・コーチング」を行った。クライアントのAさんは来月からアメリカの本社で働くことになったので、米国企業で効果的に成果を発揮するために必要になる考え方やスキル、海外で生活するために知っておくべきことなどを伝えた。

海外駐在員に対するコーチングは、単に赴任先で必要になるスキルを伝えるだけでなく、今までの人生を振り返ってもらい、今後の人生やキャリアの展望を描いてもらう。自分はなぜこのタイミングで海外赴任したいのか、海外赴任中に何を得たいか、赴任先で自分の強みをどう活かせそうか、どういうことに苦労しそうか、自分は今まで困難をどう乗り越えてきたか、その方法が赴任先でも使えそうか、などなど、様々な角度から自分を振り返ってもらう。

Aさんはまだ30代前半だが、外資系金融機関の荒波にもまれ、クビも何度か経験し、家庭崩壊の危機も経験した。が、その度に這い上がってきたことが彼の自信につながっている。米国駐在中もいろいろな波が押し寄せてくると思うが、彼ならきっとうまく乗り超えていけるに違いないと思った。

Aさんとのセッションを終えた帰り道、自分の今までの人生を振り返ってみた。

私自身、20代から30代初めにかけて、キャリアではかなり迷走し、社会人になってから10年かけてようやく自分にとって「天職」とも思える仕事に辿り着いた。10年という長い回り道を経験したが、今振り返ってみると、10年間、迷走しながらもがいたからこそ、今の自分があると言える。なので、今回のコラムでは、自己紹介も兼ねて、転職を繰り返しクビも経験した暗黒の20代を振り返ってみる。(次回のコラムで、暗黒の時代から抜けて今の天職にめぐり合った経緯を書く予定)

1990年代初め、日本の大手銀行に勤めていた父は、「女性が日本でまともに仕事していくには国家資格がないと無理だ。だから、お前は医師か弁護士か会計士になりなさい」と言った。自分がやりたいことが明確になっていなかった私は、父の言うことに疑問を持たず素直に従った。この3つの国家資格の中では会計士がいちばんなりやすそうだという理由で会計士を目指すことを決め、国立大学の商学部に入った。ところが、いざ入ってみると、商学部の授業には全く興味を持てず、5月病になり、半分引きこもりのようになってしまった。大学には殆ど行かなくなってしまったが、当初の目標である公認会計士の資格は取らなくちゃ、と公認会計士の資格を取るための勉強を始めた。専門学校に行き始めてから、簿記にも財務論にも全く興味が無いことがわかった。唯一面白かったのは経営理論、なかでもマズローの欲求段階説など、人の心理に関わる理論のみだった。興味が無い科目の勉強は辛かったが、始めてしまった以上試験には合格したいということで猛勉強し、大学3年のときに公認会計士の試験に合格した。

大手監査法人に就職したが、会計士の仕事にも全く興味が持てず、興味が持てない仕事で成果が出せるはずはないので、どんどん落ちこぼれていった。同期が難なく理解できる会計処理が、自分ではどうしても理解できないし、理解するために分厚い会計の本を紐解く意欲も沸かない。あんなに辛い勉強を経て会計士になったのに、蓋を開けてみたら全く自分に向かない仕事だったため、自分の選択を後悔して、日に日に落ち込んでいった。ある朝、起きたら、涙ばかりどんどん出てきて、身体が動かない。これはいよいよ鬱病かもしれないと思い、心療内科やカウンセリングにも行った。自分はキャリアの選択を誤り、貴重な学生生活を棒に振ってしまった、と涙を流しながら語ったら、医師に「この薬を飲んでください」と錠剤を渡された。自分の人生の深い悩みは、こんな錠剤を飲めば治るものなのかと思ったら、何だか悩んでいること自体が馬鹿らしくなってしまった。

当時、私が所属していた外資系監査法人では、外資系金融機関に転職することがカッコいい花形キャリアパスだった。会計士としては落ちこぼれていた私も、外資系金融機関への華やかな転職を決めれば皆を見返せるかもしれないと考え、転職することにした。転職先は、外資系投資銀行の、消費者ローン債権の証券化を行う部署で、平たく言うと、サラ金業者の資金調達を助ける仕事であった。給料はよかったが、仕事に対するモチベーションはさらに下がり、当然成果も出せない。この時点で初めて、自分にとっては、給料以上に、自分はなぜこの仕事をしたいのかという、自分が仕事に見出す意義が重要であることに気付いた。そのとき既に20代後半に入っており、かなり遅いタイミングではあったが、このときに気付けて本当に良かったと思う。

自分は昔からモチベーション理論などに興味があり、人間に興味があったから、私が目指すべき仕事は「人事」だと考え、人事コンサルティング会社に転職することにした。人事コンサルティング会社に入れば、人のやりがいに関われる仕事ができると思っていたのである。が、私が転職した会社のメインのサービスは人事制度の設計だったので、私にアサインされたのは、一日中パソコンに向かい、エクセルでいろいろなデータを分析し、パワーポイントでプレゼン資料を作成する仕事だった。こういう作業は私がいちばん苦手とするものだったので、上司に「資料の作成は外注して、私はクライアント先でワークショップなどをやりたいんです」と直談判したら、「入って間もない奴が何を言っているんだ」と却下され、そこから上司との関係も悪化していき、入社3ヵ月後に「あなたはうちの会社に合いません」と宣告されてクビになった。人生初のクビ宣告を受けた2001年9月11日、呆然として帰宅したら、テレビでニューヨークのワールドトレードセンターが爆撃される映像が写っていた。世界が暗黒の時代を迎え、私自身の将来もお先真っ暗に思えた時代であった。(続く)