個人への理解から始まる異文化理解(下): ジョン・マクナルティ

「個人への理解から始まる異文化理解」の後編は、日本国内や、ひとりひとりの個人の違いにターゲットをあてて考えてみたいと思います。私は、異文化を考えるときに、究極的には「自分以外の全員は異文化」と考えられるようになると、国や人種などは一気に飛び越えて、グローバル化が進むのではないかと常々思っています。ぜひ以下の記事を参考にしてみてください。

1. 「日本人」「日本文化」の定義を広げて考えてみる

今回は「日本の文化」について考えてみたいと思います。異文化問題は、人種間だけに存在するのではありません。同じ日本人同士でもそれは存在します。人それぞれ大切にしている文化が違うからです。価値観の多様性と言い換えることもできます。

私は日本に8年半住んだことがありますが、日本人の定義について、もう少し広く考えてもよいのではないかと思う場面が何度かありました。例えば、帰国子女について「あの人はガイジンだからね」という言葉を耳にして、気になりました。
国の文化について、統計学の正規分布のグラフを思い浮かべてみてください。中央にある平均値は国レベルの文化の傾向を示していると言えます。一方、両端に向けて、その人数は減って行きます。しかし、必ずそこにも、先ほどの帰国子女の人のような文化が存在します。なので、平均値の主流派ではない位置にいる人でも100%その国の人だと言えるのです。

グローバル化というと対外的なイメージを持ちがちですが、まず国内から始めてみるのも一つの方法です。日本人同士の多様性を理解するのです。例えば、自分の考えと違う日本人に会った時、「ガイジン」とくくったりフィルターをかけないで、相手から学ぶ点があるかもしれないという姿勢で、その人がどんな人か話を聞いてみる。自分とは違うという前提で接することが大事なのではないでしょうか。日本は集団主義の傾向があるというのはよく言われることですが、そのことを念頭においたうえで目の前の個人を理解しようとするコミュニケーションができれば、その何倍・何十倍も多様な文化を持つ外国人への理解にもつながり、真のグローバル化につながっていくのではないでしょうか。

2. 「違い」を多様性としてとらえる

日本に来てまだ日本語があまりわからなかった頃、ラグビーの練習中に「違う!」と言われました。辞書には「違う=different」とありました。「違う!」といわれたのは、「That’s not right(間違い)」というシチュエーションだったので、混乱しました。間違いを英語で表現すると「That’s not right」などになりますが、「different」は間違いではなく単に「違う」こと。ニュートラルなのです。しかし、日本語では「違う(different)」ことが、「間違い(not right)」となる。日本文化を理解する上で、非常に重要なポイントだと思います。

一方、多くのアメリカ人は、違いを楽しみます。初対面の場合も名字から「アイルランド系ですか?」などと話しはじめ、相手と違う点についてもできるだけ話すのです。違う部分から入って、だんだん共通点を見つけていく。一方、日本は逆ですね。最初から大前提として一緒で、違いをあまり話さないし、聞かない。対立になることを避ける。協調性を大切にする。
どちらが良いというのではありません。私はそういう日本の文化も大好きです。でも、「違う」ということを否定的でなく、多様性としてとらえてみると、真のグローバル化がまた一歩進むのではないでしょうか?