【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】:第25回日本サッカー “アマからプロへ”の大変革~誕生から20年経ったJリーグ~(5)

変革のステップ4.【徹底したコミュニケーション】

「ビジョンがなかなか伝わらない」という相談を我々はよく受ける。川淵氏は、Jリーグのビジョンをどのようにコミュニケーションし、理解を醸成し、浸透させていったのか。川淵氏が20年前にとった様々なコミュニケーションの手段は非常に興味深く、そして大変に参考になる。

ビジョンをコミュニケーションするのに大切なのは、まずは、“自身の思いを直接伝える”ことだ。

1993年5月15日、Jリーグ開幕の開会宣言に立った川淵氏は、国立競技場の超満員のファンの前で、次のような言葉を発している。「開会宣言:スポーツを愛する多くのファンに支えられまして、Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向けてその第一歩を踏み出します。Jリーグの開会を宣言します。」
この言葉は、川淵氏自身が考えたという。「サッカーを愛する」ではなく「スポーツを愛する」と言っている。Jリーグがこれから目指していく姿は、まさにこの文章の中に表れている。「大きな夢」とは、百年構想そのもので、Jリーグのクラブチームが地域に根ざした“スポーツ”クラブを持つことを意味する。「いつの日か、Jリーグのクラブが、サッカーだけでなく、いろいろなスポーツが楽しめるような総合型スポーツクラブを持ち、そこに子どもからお年寄りまで、たくさんの人たちが集うようになる―その実現こそが僕にとって、何よりの夢だった。」と後に語っている。
しかし、その考えが本当に理解されるには長い時間がかかったと聞く。各クラブからは、「サッカーでも四苦八苦しているのにスポーツクラブの構想など言ってくれるな」とか、「そんなことをするカネがあったら一円でも多くクラブに配分してくれ」という声ばかりが聞かれたと言う。「ビジョンが浸透した今ではそんな声が上がることはないけれども、当時はそうした声に対して1つ1つ説得していかなければならなかった。外側よりも、むしろJリーグの内部に対して説得しなければならなかった。」と言う。

「今はブームだから一企業やサッカーのためだけに行政が応援してくれている。でも、ブームが去れば、他のスポーツ団体や市民から、どうしてJリーグだけを応援するのかという不満があがる。サッカーだけでなく色々なスポーツを支援することで、子どもたちの健全な成長を育み、地域社会の発展に貢献する-Jリーグがそういう姿勢を示さないと、行政の支援など得られない。」将来を見通した上での自身の思いを開会宣言に込めたのだ。
20年経ってあらためてその文章に触れてみて、思いが凝縮されて詰まっている、将来への洞察に満ち溢れている、シンプルだけど本当に素晴らしい開会宣言だといたく感心した。

彼は、Jリーグのビジョンを浸透させるために、例えば“ビジョンに反対する抵抗勢力”までをも、ビジョン浸透のための手段として活用している。
「地域社会の発展に貢献する」というビジョンの実現のためには、チーム名には企業名を冠してはならない、あくまでも地域名でなくてはならかった。浦和レッズであって、三菱レッズではだめなのだ。この考え方は、今ではよく分かる。FCバルセロナ、マンチェスター・ユナイティッド、バイエルン・ミュンヘンと、世界ではまったくもって常識だし、考えてみれば野球の世界だって、ニューヨーク・ヤンキース、シアトル・マリナーズ、LAドジャースと、地域名を冠するのが当然のことになっている。
しかし、正直に言って、当時は、私のような大のスポーツファン、サッカーファンですら意味がよく分からなかった。なぜなら、それまで、日本人は、読売ジャイアンツ、阪神タイガース、西武ライオンズ、で育ってきているからだ。なぜ企業名を冠することを許さないのか、理解している人は少なかっただろう。
当時のプロ野球と同じように“クラブは親会社の宣伝媒体でいい”と考えている読売は、プロ化に最も熱心だったはずなのに、企業名を冠させないという方針が出た瞬間から、徹底した抵抗勢力に回った。とりわけ、読売グループのトップであり、野球をはじめスポーツ界に大きな影響力を持つナベツネさんとの舌戦は、格好のネタになって週刊誌などを賑わわせた。「金を出すのは企業だ!企業名を冠して何が悪い!Jリーグは馬鹿じゃないか!空疎でリアリティのないビジョンを掲げたJリーグ」といった趣旨の発言を、至るところで私も聞いた。
川淵氏は、「ナベツネさんとの確執があったおかげで、むしろこれで世の中にJリーグの理念やビジョンが伝わる」と考えたという。後に川淵氏は、「これだけビジョンが世の中に伝わったのはナベツネさんのお蔭。ナベツネさんはJリーグの恩人」とまで語っている。

Jリーグを立ち上げ一定の成果を生むと、川淵氏はその成功に安住することなく次々にビジョンを進化させてきている。次なる道を示す際、極めて“刺激的なキーワードを設定”してコミュニケーションしているように感じてきた。我々に聞こえてくるのは、あえて議論を呼ぶようなキーワードだ。
例えば、「これから先、世界のトップクラスとの差を縮めるには、傑出した“エリート”を育てる必要がある」といった方向性を打ち出している。“エリート”という言葉で、世の中やサッカー関係者たちに、強烈なメッセージを発している。
『エリートとは本来、特権階級を指す言葉ではなく、社会の各分野のリーダーであり、先頭に立って戦う存在、社会に対する責任を果たす存在を指す言葉。ところが日本ではこの言葉に強い拒絶反応を持つ人が少なくない。
しかし、別の言葉に置き換えようとするのは馬鹿げている。逃げるのではなく、堂々と説得すればいいと思っている。分かってもらうために、僕はエリート教育に対する考えをまとめたパンフレットを何十万部も刷って配った。
サッカーのエリート教育とは、本当に優秀な若い選手を12歳前後あるいはもっと早い年齢のうちから育てていくことだ。フィギュアスケートの浅田選手、卓球の福原選手、ゴルフの宮里選手などといった世界のトップで戦っている選手たちは皆、5歳頃から競技を始めている。もし浅田が中学に入ってから始めていたら、15歳でグランプリファイナルに優勝するなどできなかったはず。エリート教育を個人が行う分には、誰も文句は言わない。だとしたら、団体スポーツであるサッカーで行ってはいけない理屈も成り立たない。
ある子どもが才能を持ち、それがさらに開花することを本人が強く望むのであれば、そういう環境を与えてあげるのは当たり前のこと。もしも、残念ながら才能のない子どもがいて、その保護者が“才能のあるものばかり育てるのは不公平だ”と言ったとしても、みんな横並びにするなんていうのはおかしい。子どもの“自分の才能を伸ばしたい”という気持ちに応えることは、日本全体に夢と希望と勇気を与えることにつながるのだから。』

ビジョンに関する川淵氏のコミュニケーションのスタンスについて、最後に触れておこう。不易流行だ。彼は自身のスタンスを次のように語っている。
『僕には揺るぎない信念がある。でもだからといってあらゆることに自分を通しはしない。理念やビジョンは“不易”なもので、今取り組むべき具体的な課題は“流行”。“サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する”という理念は、100年経っても変わらない。しかし、それを実現するために今すべきことは、その時点で変わっていく。“流行”の部分でもしも僕の言っていることにおかしい部分があれば、意見は遠慮なく言ってほしい。』

参考:「日本サッカーが世界一になる日」NHK知るを楽しむ2006年5月8日放送内容)