目指せグローバル才女!薫子の「飛んだ人生」〜「アメリカ人ならできることなのに」と言われたら?

先日、アメリカ人夫と大喧嘩をしました。原因は彼が待ち合わせ時間直前に自分の予定を優先させ、15分ほど遅れて待ち合わせ場所に到着したことです。たかが15分の遅れではありますが、日頃から「私はいつも自分のスケジュールを夫に合わせなくてはならない」と不満を持っていた私は、直前に自分の予定を優先させた夫に対して、今まで溜まっていた怒りが爆発したのでありました。

彼は遅れたことに対して謝らず、「ここ(カリフォルニア)では15分くらい遅れることなんて当たり前なんだ。君はここに住んでいるんだから、それを受け入れるべきだ」と言いました。これを聞いて私の怒りは頂点に達し、公園のベンチで激しい言い争いになりました。

私が怒ったのは、まず、彼が遅れたという事実を認めて謝まらなかったことです。訴訟大国のアメリカでは、「謝る」=「自分の非を認めたことになるので、後で法的責任が発生する」という方程式が成り立つので、人々は謝ることに対して日本よりもずっとSensitiveです。交通事故を起こしても、絶対に謝ってはいけないとよく言われます。一方、日本では感謝の意を表すのに「お手数おかけして申しわけございません」などと謝罪の形式をとることもあります。それをアメリカ人に対して「Sorry for causing troubles」などと直訳してEmailしてしまうと、後で問題になる可能性もなきにしもあらずです。一方、そういう文化的背景を持つアメリカ人が日本人と仕事をするときは、「謝る」=「感謝の意を表すこともある、コミュニケーションの潤滑油」という方程式を理解しておかないと、なかなか日本人が心を開いてくれず、話が進まないことになります。

もう一つ、私の怒りの火に油を注いだのは、夫が「アメリカでは遅れるのが当たり前、それを受け入れられない君のほうが悪い」と文化を言い訳に使ったことでした。MBTIで「タイプを言い訳に使ってはならない」というルールがありますが、グローバルチームでも同じこと。「私は日本人だから会議で発言しなくてもいいんです」「私はインド人だから会議に15分遅れてもいいんです」という言い訳は通用しません。異文化・多国籍のメンバーから成るグローバルチームでは、チームメンバー全員が尊重すべきチームのルールを決め、そのチーム固有の文化を作っていくことを、よりいっそう意識して実施する必要があります。

夫との会話で思い出したやり取りがあります。それは私の当時のアメリカ人上司との会話でした。日本のクライアントは講師を気に入ると、かなり早くから講師のスケジュールを押さえるので、私のスケジュールは半年先まで埋まっていました。そこに長期プロジェクトが入り、アメリカ人上司は私にできないかと打診してきました。そのプロジェクト期間の私のスケジュールが既に他の仕事で埋まっていて時間が取れないことを伝えると、上司はこう言いました。

「Americans always make time」

一瞬、自分の耳を疑いました。「アメリカ人だったら、どんなに忙しくても、いつも時間を作り出すことができるのに、日本人のあなたは融通が利かないわね」と言っているわけです。

この発言は異文化コミュニケーションにおけるタブーをいくつか犯しています。まず、誤ったステレオタイプを押し付けていること。「アメリカ人はいつも時間を作り出すことができる」というStatementは明らかに正しくありません。そうでないアメリカ人もたくさんいますし、また「いつも」作り出すことができるとも限りません。自分の発言に、「全て」「いつも」といった言葉が混じるときは、誤ったステレオタイプを押し付けている可能性があります。
また、文化を相手を非難するために使っていることも、大きな間違いです。こういう言い方をされれば、相手の感情は逆撫でされ、問題解決のための建設的な議論にはならないでしょう。私も、日本人全体が馬鹿にされたと怒りを感じ「Wait a minute. What did you just say?」と言い返し、最後には、上司は自分の発言は間違っていたと謝りましたが、お互いに感情的なしこりが残りました。

当時の上司は異文化コンサルティング会社のトップマネジメントの1人で、異文化コミュニケーションの専門家でした。そういう人ですら、仕事で忙しくイライラしているとき、心に余裕がないときは、こんな発言をしてしまいます。私も、「誤ったステレオタイプを持ってはいけない」「文化を相手を非難するために使ってはいけない」と書きつつも、この上司とのやりとりや、夫とのやりとりを思い出すと「アメリカ人は傲慢だから嫌だ」などと、やはり思ってしまいます。

このように、異文化での対立が起こり、感情が揺さぶられるときこそ、自分の中に深く根付いている相手国に対する偏見が浮かび上がってきます。それを一つ一つちゃんと見つめて、誤った偏見であると気付くこと。これが真の異文化理解につながります。

そういう意味では、アメリカ人夫との夫婦喧嘩は、私の真の異文化理解を促進してくれているんですね。。。。