【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】:第 23回 日本サッカー “アマからプロへ”の大変革~誕生から20年経ったJリーグ~(3)

変革のステップ2.【推進チームのリーダーシップ発揮】

「危機意識を醸成」して人々を変革に向けて立ち上がらせても、「推進チームの指導力不足」という落とし穴に嵌って変革が頓挫することは少なくない。
そもそも“あの人達が推進している変革プロジェクトということなら会社も本気で取り組んでいるわけではないな”と思われてしまったり、リーダーを含めた数人だけが躍起になって動いているが周囲にはその指導力が全く及んでいなかったり、といった状況に身に覚えがある人は多いのではないだろうか。 変革の始動時には、志を共有できた人達で強いチームを結成し、そのチームが推進力を持ち、周囲がチームの言うことに耳を傾ける体制を整えることが、何にも増して求められる。
Jリーグの草創期においては、推進チームがどうやって毅然と指導力を発揮し、どのようにして変革を前に進めていったのだろうか。

川淵氏は、JSL(日本サッカーリーグ)から独立した「プロ化検討委員会」を設置し、企業チームのオーナーではなく、“サッカー関係者だけで動くことができるようにした”ということについては、前々回の稿で既に述べた。この委員会が、まさに変革推進チームだ。

推進チームのゆるぎないリーダーシップが求められ、そして発揮した場面は、幾度となくあった。ここでは、エポックメイキングなエピソードを2つ紹介しよう。
1つは、「プロリーグ参加のための7つの条件」提示だ。
プロ化検討委員会が発足し、検討の必要な項目に合わせて、フランチャイズ委員会、チーム問題委員会、日程委員会など8つの小委員会を設け、実現に向けた準備を進めていった。検討が進み、いよいよJリーグ誕生の3年前、推進チームであるプロ化検討委員会は、「プロリーグ参加のための7つの条件」を示し、Jリーグ参加希望チームを募った。

1)参加団体の法人格
2)フランチャイズ制(ホームタウン制)の確立
3)スタジアムの確保(15000人以上収容、夜間照明設備保有)
4)チーム組織(トップチーム~四種チーム(13歳未満)の保持)
5)選手・指導者のライセンス(プロ18名)
6)分担金の供出
7)日本サッカー協会の指示・決定に従うこと

7つの条件は、新しいリーグがプロであるために譲れないことは何かと、委員会で徹底的に検討した結果生まれたものだった。

しかし、ハードルが相当高かったために、JSL(日本サッカーリーグ)参加企業からの反応は芳しくなく、非難を受けることになった。それもそのはず、例えば、ホームスタジアムの確保といっても、当時日本には、15000人以上収容で夜間照明設備のあるという条件までクリアした競技場は少なく、それを自由に(専用に近い形で)使えるようにするというのは、至難の業だったはずだ。
手を挙げるチームが何チームになるか、不安だっただろう。それでも、「今、日本のサッカーをプロ化しなければ、決して強くはなれない」という確信をもって、推進チームは一切ぶれることなく、プロであるために譲れないとした条件を緩めることはなかった。結果、20団体が手を挙げ、そこから選抜された10チームで初年度のJリーグはスタートすることになった。

後に、川淵氏は次のように語っている。『僕は、これ(20団体が手を挙げたこと)こそがJリーグを成功に導いた大きなターニングポイントだったと思う。正直なところ、参加条件を決めたときは、ホームスタジアムの件に代表されるように、ちょっと厳しすぎるかなという思いもありました。ところが、20団体という結果を見たとたん、そんな弱気はどこかに吹き飛んでしまった。これだけの数が参加を希望しているのだから、その後の交渉で条件を下げる必要などはない。もしも12,3団体からしか申込みがなかったらどうだったか。それは無理です、と言われたとき、その申し出を聞かずにいられなかったかもしれない。もしもあのときの申込み数が少なかったら、Jリーグは理想からほど遠いものとなり、絶対に失敗していたと言えるでしょう。』(出所:「日本サッカーが世界一になる日」NHK知るを楽しむ2006年5月8日放送内容を加筆修正)

推進チームが、現状に阿ることなく変革に本当に必要なレベルを設定して示す。非難や反感にもぶれずに貫く。そして、理解し呼応し何とか着いていこうとする人が出てくる(出てこなければ考え直す必要があるが)。このサイクルが回って変革は加速していく。
ちなみに、鹿島アントラーズというチームがあるが、 “落とすために”設定された条件である「屋根付きのサッカー専用スタジアムの設置」というものまで、担当者の熱意で県知事も口説き落とし見事に実現させ、初年度の10チームに滑り込んだ。そしてJリーグ最初の優勝クラブになったのだから面白いものだと思う。

推進チームがゆるぎないリーダーシップを発揮したエピソードの2つ目は、「読売グループの扱い」だ。変革初期の頃、読売グループの総帥、ナベツネさんが、推進チームの前に大きく立ちはだかっていた。当時読売は、“読売(川崎)ヴェルディ”というチームに三浦カズ、ラモス瑠偉、北澤、武田ら、日本を代表する選手を擁して一時代を築こうとしていた。読売の思惑は、ベルディを野球の“巨人(読売ジャイアンツ)”と同じように全国区の人気チームにして、読売の宣伝媒体として大きく寄与する存在にしたいというものであった。「各地域に根差したクラブチームを作る、全国区の人気は“日本代表チーム”だけでいい」とするJリーグの理念とは真っ向から対立するものだった。
川淵氏は、最初から「Jリーグに巨人は要らない」と宣言していた。それを聞いたナベツネさんは、「そういうことを言うなら我々はJリーグを脱退する」とまで言っていたようだ。しかし、川淵氏をリーダーとする推進チームは「出て行かれるならどうぞ」と返したと言う。「プロ野球だって将来を考えれば、巨人一極主義を変えていかなければならないのに、いまだにジャイアンツ依存でいこうとしている。Jリーグでは絶対に譲れなかった。」と、川淵氏は後に至るところで語っている。

『連盟を脱退して、新リーグを創る』と息巻いて恫喝する手法は、実はプロ野球においても、球団買収騒動時やセパ交流戦開始などの議論の際に、ナベツネさんが何度か使ってきた手だ。大人気球団“巨人”に出ていかれると困るので、その度に他の球団は折れるしかなく、ナベツネさんの主張が通るということがまかり通ってきた。
しかし、Jリーグの変革推進チームは絶対に折れなかった。「出て行かれるならどうぞ」を平気で言える環境を実現しているのは、サッカー界が、FIFA(国際サッカー連盟)の傘の下、一元化された組織運営をしているからだ。
国際サッカー連盟、アジアサッカー連盟、日本サッカー協会というように、統括組織の団体は各地域に1つしかない。認定されないリーグを作っても、そのチームは国際試合に参加できないのだ。そのチームに属す選手は、ワールドカップにも参加できなくなるのだ。だから、野球界のように、「文句を言うならパ・リーグに行ってしまうぞ。」といった恫喝は全く通用しないのだ。組織が一本化し、協会によるガバナンスが効くので、推進チームがリーダーシップを発揮できる体制になっているわけだ。
あらためて野球界と比べてみると、このことの重要性はよく分かる。野球界では、高校野球連盟だ、社会人野球連盟だと、ばらばらに組織運営がなされている。だから、プロ野球選手は自分の息子にも指導してはいけないなど、不思議な縛りがいっぱいある。野球界全体をまとめていく推進チームは存在していないようだ。

いずれにしても、Jリーグの変革推進チームが、読売グループの恫喝に屈せず毅然として指導力を発揮したという事実は、変革を前に進めるという貢献はもちろんのこと、どのような横槍にも応じないことを世間に知らしめ、日本サッカー界のクリーンなイメージを定着させるというさらに大きな功績を残したと、私は思う。

Jリーグでは、チェアマン(初代チェアマンは川淵氏)が最終決定権者であるということが明確に謳われている。「チェアマンは、Jリーグ所属の団体および個人の紛争解決および制裁に関する最終決定を行う権限を行使する。」どこかの企業の論理が優先されたり、声の大きい人が全体の運営を牛耳ったりするといったことが起きないようにしている。これは、実はプロ野球コミッショナー協約を参考にして作ったというのだから、皮肉なものだ。