GIAリーダーの旅(松村卓朗)第5章:スリランカでのフィールドワーク:国について構造的に具体的に考えるという経験

「この国の問題」に対する問題意識
スリランカの旅を通じてのテーマは、「この国のために何ができるかを考える」ということであった。これからのグローバルリーダーたるもの、個人や企業のレベルでだけでなく、国のレベルで問題解決を考えることが求められる。何より、新興国や途上国への進出においては、その国の“国づくり”に携わろうとするような強い意志と高い視点が成功の鍵を握るはずだ。このGIAリーダー育成プログラムは、今後の日本のリーダー達に求められるこういった意志や視点を養うトレーニングが重要な目的だった。

よく、「なぜスリランカなのか」と聞かれるのだが、スリランカは実はこのトレーニングを行うのにぴったりの国なのだ。北海道くらいの面積で2週間あれば一回りできる大きさであり、人口も2000万人程度でそのうち7割をシンハラ人が占め、産業はモノカルチャーで、“国レベル”で問題を考えることを行うには比較的考え与しやすい国だと、行ってみても実感した。インドや中国では、“国レベル”で問題を考えようとしても、途方に暮れるだけだろう。

しかし、とはいっても、国レベルで問題を考えるということそのものに、普段から慣れているわけではない。スリランカに出発する前には、自身のフィールドワークのテーマに何を据えるか、あれこれと逡巡したものだった。
そんな折、元世界銀行の副総裁だった西水美恵子氏の『国をつくる仕事』という本を読んだ。赴任した世界各国の国家開発の現場で起こった出来事をエッセイ風に綴った読み物だ。スリランカに関するページを拾い読みしてみると、次のようなことが書いてある。
「社会事業の成果を示すデータは、スリランカがすでに先進国並の水準に至っていることを示している。反面、国民平均所得は明らかに発展途上国のレベルにある。こんな途上国は世界中どこにもない。」
「普通、貧困に苦しむ人々には子供の教育という夢があります。教育を受けてさえも貧困から脱出できないスリランカの国民は、何に夢を携えるのですか?」

こうした問題意識に触発されて、私のフィールドワークのテーマが決まった。「スリランカの教育問題」だ。“世界中どこにもない状況”はなぜ起こっているのか。西水氏のエッセイは10年くらい前の話だから、今はどうなっているのか。どうしたらよいのか。そして、我々はその問題に対して何ができるのか。

スリランカの教育の問題の構造
スリランカに着いてすぐに財務省の高官を訪れたが、その際に頂いたスリランカの社会指標の最新のマクロデータを見ても、HDI(Human Development Index=健康や知識、社会生活等の水準)は、南アジアにおいて最も高い水準にあることが示されている。
とりわけ、教育のインフラは先進国並みに整っているように見える。例えば識字率は91%、現在の初等教育就学率は95%で、中等教育就学率においても男女とも70%を超えている。しかし、それが今のところ効果的な経済発展に結びついていないようなのだ。1人あたりのGNI(Gross National Income)ではすっかり途上国の域に収まってしまう。
図1
スリランカの多くの人に教育の現状を聞いてみたが、学校教育制度は大変充実している。日本と同様、小学校から中学校までは義務教育だ。そして、なんと大学まで全くの無償で教育が受けられる。教科書なども無料で支給される。小学校では無料でパンやビスケットとミルクなどの軽食を食べさせてくれる。大学では寮生活を送る学生達には寮費や学生食堂での食事代まで政府が面倒をみるという。
スリランカは、独立以来、教育や医療といった社会政策を重視してきたと、政府関係者達は皆誇らしげに語る。

ただ、夜な夜なデータを眺めていて目に留まったのは、中学校までの一般教育の就学率に比して、大学(高等教育)への進学率が極端に少ないことだった。大学に進学できるのは、進学希望者の1割に満たない。調べてみると、大学はわずかに12校しかなく、近年増えてもいない。これは、大学入学希望者ほぼ全員が大学へ進学できる日本とは大きく異なる状況だ。
高校は学校の数も充分にあり、それほど難関ではなく、生計維持のため働かなくてはならないのでない限り、たいてい問題なく進学できるという。大学だけは、大学の数自体がとても少なく、本当に狭き門なのだ。
大学入学試験をパスできるのは限られた“ラッキーな人”、つまり、相当優秀で相当裕福な人だけだと、多くの人が言う。大学に行くには、普通に公立の学校に通っているだけではとてもダメなようで、小学校や中学生のうちから、塾や家庭教師をつける人が多いそうだ。実際に、我々がコロンボでホームステイをした家の高校生も、家庭教師をつけて勉強していた。

大学の数が少なすぎるということが、単に高等教育の水準の問題に留まらない、スリランカの構造的に大きな社会問題の根本原因になっていると感じた。
まず、大学が少ないために、優秀な人材が海外の教育に出て行ってしまう。そして、そのまま戻らないという状況を作ってしまっている。外貨をみすみす流出させてしまっている上に、高校までの教育で多くの人が英語を喋れるようになっていることがあだとなって、頭脳流出までさせてしまっているのだ。
また、大学卒業生の多くが公務員になるということで、大学は、数が少ないために、民間企業の人材を生み出すまで至っていないのだ。多くの私立大学が存在して、民間企業への人材供給をなしえている日本とは根本的に異なる状況なのだ。
図2
つまり、大学の数が少なすぎることが、国力の充実を阻む要因となっているのではないか、というのが私の仮説だ。特に民間企業の人材不足を生んでいるのではないか。さらに言えば、特に民間企業のダイナミズムを生むミドルマネジメントの不在に繋がっているのではないか。現在のスリランカの教育システムでは、ミドルマネジメントが創出されない(されにくい)構造になっているように、私には見えた。

将来への問題解決に向けての前途多難
様々な企業活動の現場で、スリランカの企業が現在抱える問題は何かと聞いたが、マネジャー達の「マネジメント能力の欠如」を挙げる人は多かった。
実際に、ミドルマネジメントは弱いと、私自身も感じた。私は前述したように、ある企業で25人のマネジャー達を集めて研修を行う機会を得たが、スリランカを代表する企業のミドルマネジャーであっても、ミドルマネジャーというより、日本の基準では、“おとなしく素直な新人達”という印象だった。研修や演習に慣れていないせいもあると思うが、演習でのチームマネジメント能力のスコアは低かった。

このような問題提起をしたいと考え、スリランカでのフィールドワークの終盤には、大学や教育省にアポをとって訪れた。
コロンボ大学を訪問した際には、なんと驚いたことに、教授達がスト中だった(2週間目に入ったところ)。ストの理由は、大学教育への予算削減への反対だと言う。ストで暇だからと言って、数人の教授は色々と話をしてくれた。
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聞けば、大学教育への国家予算は近年大幅に減る一方だ(2010年:6.3%、2011年:3.2%、2012年:1.3%)と言う。私が財務省の高官から頂いたMFPのannual reportでは、expenditure on higher educationは伸長しているので、やはりフィールドワークは現場に行ってみないと分からないものだと思った。
「戦争が終結して余った予算があるはずだろう」と問うと、まずは復興と、そして“意味のない”新港や新空港等の建設に回っていくばかりだと、教授達は嘆いていた。

続いて、高等教育省の高官も訪ねた。スリランカには、教育省は2つあって、一般教育省と高等教育省に分かれている。私見だが、一般教育省と高等教育省に分かれていることも、大学の数を増やさない遠因になっていると感じた。一般教育省は“底上げ”を担当し、高等教育省は“エリート教育”を担当するという分担だからだ。この国には、高等教育の底上げや一般化が必要なのではないか、というのが私の問題意識だ。この分担では、永遠にその問題を解こうとする意識は生まれない。
ちなみに、高等教育省の高官と話をしているときに興味深い出来事があった。彼の携帯電話が鳴り、話し終えた後、「聞いてくれ、今ニュースが入ったんだが、アメリカで開かれている科学オリンピックで、スリランカの高校生が金賞を取ったんだ。こんな小さな国ですごいだろう!」と言う。私は「Congratulation!」と言ったが、彼はその様子からも、あくまでも“エリート教育”にしか興味ないように見えた。私は一生懸命、ミドルマネジメントの強化の重要性を説き、そのために、大学の数を増やして高等教育の底上げや一般化に尽力することがスリランカの将来にどれだけ必要なことかを話したが、ふんふんと聴く程度だった。私の英語力の問題も多分にあると思うが、国の問題をある視点から構造的に捉えることは曲りなりにできても、その問題解決はそう簡単にはいくものではないことを実感した。
ここからは、この国のために何ができるか、と問いは私自身に向けるものになった。