GIAリーダーの旅(松村卓朗)第3章:ハードシップと内省

第3章 ハードシップと内省:ララパナワ(旱魃で半年無収入の農村地域)でのホームステイ、ジャフナ(数年前まで内戦をしていた北部地域)への道程

旅のハードシップ
スリランカに行ってあらためて、スリランカというのは、実にこのGIAリーダープログラムを実践するのに適した国だということを体感した。

それは即ち、このプログラムのテーマである、「この国に対して、自身・自社の本業を通じて何ができるかを考え抜く」のに、程よい大きさの国という意味だ。人口は2000万人、面積はちょうど北海道の大きさ。これが中国やインドなら、「この国に対して何ができるか」と問われても、途方に暮れてしまうところだ。スリランカなら2週間もあれば、一周りできる。

とはいえ、コロンボから北部ジャフナまでの縦断の旅はハードだった。肉体的にも精神的にもハードシップが強いられた。

肉体的なハードシップは、移動そのものにあった。たかだか100kmにすぎない行程を車で走破するのに、8時間もかかった。道はあったが、道路がなかったからである。

スリランカでは3年前まで内戦があって、北部まで通ずる道路は壊滅状態だった。半年くらい前までは、北部への日本人の渡航制限もかかっていたくらいで、スリランカ人のコーディネータですら、「ジャフナまで来たのは初めてだ」と言っていた。

道路なき道を行くというのは、ただ車の中に座っているだけでもタフさが求められ、次第に皆口数も少なくなっていった。

ある参加者は、(バスに乗っていたときはフラフラだったので話しかけることもできなかったが)日本に戻ってきてから、「道路のようなインフラって、当たり前にあって気づかないものだが、ない状態を経験してみてはじめて、それをこれまでに1つ1つ作り上げてきた先人達に感謝するとともに、積み重ねで成り立っている社会のすごさに畏れ入る」としみじみ語っていた。

道すがら見える景色も、多くの建物の屋根が吹き飛ばされているのにも参った。家そのものはそのまま残っているので、余計にリアルに、ちょっと前の状況を想像させる。「そこで生活していた人達はどうなったのだろうか」と思いを馳せずにいれない。道中では、肉体的なハードシップに加えて、このような精神的なハードシップも次々に与えられた。それをきっかけとして、自分自身を見つめ直す、つまり内省が促される機会となったことは多い。そうした場面のいくつかを紹介したい。

ララパナワ(旱魃で半年無収入の農村地域)でのホームステイ

北部へ向かう途中、ララパナワという村を訪れた。この村には、いまだに原始農業をやっている集落があり、家の造りや生活様式などを見せてもらったが、東京に住む私には想像できる範囲を超えていて、とても衝撃的だった。例えば象が来て畑を荒らさないように夜通し見張りが常駐するための、高床式の小屋などがあった。夜中に象が平原をかけてきて畑を荒らす、そうさせないために一晩中見張る生活があるなんて。

夜まで村の人達と一緒にいて、キャンプファイヤーもした。ファイヤーの周りでは、若者達や子供達と一緒に、彼らが太鼓でリズムをとる民族音楽に合わせて、私達も踊った。日本人達も何か披露しようと日本の童謡などを歌ったが、ファイヤーの前のエネルギッシュな民族音楽の前では、しんみりとするだけだった。

楽しい時間ではあったが、底抜けに明るいというより、村の皆からは、何かにエネルギーをぶつけずにいられないといった、重い雰囲気も漂っている感じがした。この地域は、旱魃が続いていて、この半年に渡って無収入という家が多いということだった。非常に貧しい村で、今日は1人1人ホームステイすることになっていたが、コーディネータからは、「ホームステイ先によっては電気がないかもしれない」と言われていた。

私がホームステイした先は、おばあさんとお母さん、11歳の娘さんと7歳の息子さんがいる家庭だった。お父さんが軍人で単身赴任しているということで、旱魃でも生活は比較的安定しているようだった。ベッドまで用意してくれ、寝苦しくないようにと扇風機まで貸してくれた。

子供達は小さいので、そんなに遅くまで遊ぶわけにはいかなかったが、年齢も民族も言葉も超えてコミュニケーションがとれた時間は楽しかった。日本の様子や私の家族の写真を見せたり、持ってきた折り紙で飛行機を作って飛ばしたりした。11歳の女の子の英語の教科書を見せてもらったが、これはショックだった。日本の高校の教科書よりよほど内容が面白く、英語も実用的なものだった。例えば、「あなたは次のような世界が到来したらよいと思うか、それとも嫌か、それはなぜか」をクラスで話し合おうと書いてある。1.世界の全員が同じ言語を話す、2.世界中どこでも1時間で行ける、3.世界の皆がお金を平等に持っている、・・・・。

スリランカの人達は、多くの人がスムーズな英語を話す。「英語やらなきゃ」という私自身の個人的な焦りにすぎなかったのが、教育のベースの違いを目の当たりにして、私の焦りは「国として抜かれる」といった危機感に近い感覚を抱いた。

次の朝、皆がホームステイ先で起きた話を共有しているところに、参加者の一人Kさんがげっそりとした顔で現れた。一睡もできなかったと言う。

彼は、私のように小さな子供のいる和やかな家ではなく、大人しかいない家がホームステイ先だった。そこで、その家の息子にあたる若者が怪我で失明寸前だという話しを、いきなりされたという。収入がない中、通常月収の半分程度の費用を、コロンボの病院までの旅費と薬代とに払っているという。大人達に囲まれ、「どうにか支援してくれ。日本人ならこの程度のお金を負担することは簡単だろう。」と迫られたという。

一睡もせずに考えたが、その場では答えが見つからず、日本に戻ってから結論を出すと言っていた。彼は答えを出せただろうか。

ジャフナ(数年前まで内戦をしていた北部地域)への道程

スリランカでは、3年前まで内戦をしていた、内戦によって道路は壊滅状態だった、車から見える建物には屋根がなかったと述べた。内戦は終わったが、その爪痕は、ジャフナまでの道程ずっと続いた。

バスの中では、内戦に関する話をコーディネータ達から色々と聞き漁った。
スリランカは多民族国家であり、人口の75%を占めるのがシンハラ人だが、シンハラ人が中心の政府が推し進めたシンハラ政策に対し、15%を占めるタミル人が反発し独立を志向したことが発端となって、政府軍と反政府ゲリラ組織の戦争になったという構図だ。

「タミルの虎」(LTTE)と呼ばれるテロ組織が反政府勢力を主導していたという。民間人を盾にしたり、民間人を虐殺するなど、「LTTEは世界一危険なテロ組織だ」という話も、至るところで耳にした。エアフォースまで組織していたテロリストと聞いて、恐怖心が襲った。

最後はジャフナに追い込んで、やっと壊滅して、停戦を挟んで数十年に渡る内戦にピリオドが打たれたということだが、なぜこれほど長引いたかという話には、考えさせられた。

シンハラ人に聞くと、内戦が長引いたのは、国際機関とNGO/NPOのせいだと言う。国際機関から見ると、「少数民族の迫害」の構図にしか見えなかったので、国際機関がタミル人を支援する時間が相当長かったらしい。また、“NGO/NPOだ”とさえ言えば、堂々と入国できるし、チェックが甘くなるので武器輸入のルートとして活用されたという。

ジャフナに着く手前の町で、野外ワークショップをやっているのに出くわした。
ファシリテーターはNGOから来たノルウェー人で、参加者は全員女性だった。屋外でやっていて楽しそうなワークショップかと思ったら、LTTEに洗脳されていたタミルの民間人を逆洗脳するワークショップだという。主婦のリーダー的存在の人達が集まっていて、まずは、「シンハラ人はいかにひどいか」と洗脳されているので、これを解かねばならない。その後、これからの生計を安定させるために、農業や酪農など、生活の糧を得るための方法を学んでいくのだという。

この地まで、そして何より、このテーマで、ファシリテーションをしに来ている人がいる、ということに驚いた。ファシリテーターを生業とする私は、こんなワークショップを引き受けたら、一体全体どのような流れとトピックでアジェンダを設計するだろうと、ジャフナに着くまでに色々と考えてしまった。

ファシリテーターというのは、内容の設計もさることながら、その場に「飛び込む勇気」が最も大切という言葉をあらためて思い出していた。どんなテーマであれ、どんなにチャレンジングであれ、ファシリテーターがいる話し合いが必要ならば、絶対に逃げないでトライしようと強く思った。

ようやく着いたジャフナのホテルは、海岸に面していた。とても静かな海だった。