目指せグローバル才女!薫子の「飛んだ人生」〜人は世界をあるがままに見ているのではなく、自分のあるがままに世界を見ている

息子が生まれてからというもの、街を歩いていると、赤ちゃんやヨチヨチ歩きの幼児(特に男の子)が目に入るようになった。自分の息子と同じくらいの月齢だろうか、息子も来年にはあのくらいの大きさになって、歩いているんだろうか、と、つい考えてしまうのである。

妊娠しているときは、お腹の大きな妊婦さんがよく目に入った。少子化といっても、街には赤ちゃんや妊婦さんが溢れているなと感じた。

面白いことに、自分が妊娠して子供を産む前は、赤ちゃんも妊婦さんも全く視界に入らなかった。父が脳梗塞で入院したこともあり、車椅子を使っている人や杖をついて歩いている人ばかり目についた。

昔読んだ「7つの習慣」に、「人は世界をあるがままに見ているのではなく、自分のあるがままに世界を見ているのである」といったようなことが書いてあって、なるほどと思ったことがある。ようは、自分のあるがまま、すなわち自分の現在の状態や興味がフィルターを形成し、そのフィルターを通して世界を見ているということだ。自分が見ている「現実」は自分が形成したフィルターを通して見た「現実」なので、他の人が他のフィルターを通して見れば、全く違う「現実」が存在し得る。

このことを常に認識していることが、異文化の相手とうまくやっていくためには不可欠である。私自身、世界各国の同僚や上司と仕事していて苛立つこともあるけど、その殆どは、お互いが見ている現実が異なることから生じている。そのときに、どちらの現実が正しいのか議論しても無意味である。それぞれのフィルターを通して見た現実は、それぞれの人にとって正しい現実だからだ。ここで大切になるのは、まず、お互いが見ている現実が異なることを認識し、なぜそのような違いが生じているのか、お互いのフィルター(価値観、ものの見方など)を共有することだ。これをつい忘れてしまって、アメリカ人の夫と喧嘩してしまう自分を反省している。。。

尖閣諸島の問題で日中関係が悪化しているが、日本と中国で見ている現実が全く異なっている。それぞれが見ている現実はそれぞれにとっては正しいのだけど、ただ、自分達は正しいと主張するだけでは平行線だ。なぜそう考えるのかお互いのフィルターを共有し、お互いにとっての共通の利益・ゴールを見出して交渉していかなくてはならない。