【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】:第12回サッカーの緻密さ~選手の頭の中~

これまでは、サッカーの監督やチームのマネジメントに関して述べることが多かった。今回は一人の注目すべき選手に焦点を当ててみたい。遠藤保仁という日本代表選手がいる。現在、日本最高のサッカー選手と言っても過言ではないと言われている。日本代表のザッケローニ監督も、代えの利かない、ワールドクラスの選手だと全幅の信頼を置いている。
しかし、遠藤選手のプレイは、全くもって素人には分かりづらい。サッカーをやっていない人が見たら、日本最高の選手ということに気づかないだろう。いや、サッカーをやっている人ですら、そのすごさは実はよく分からない。派手なプレイは一切ない。ドリブルで突破するわけでもない。強靭な肉体や強さがあるわけでもない。パスを受けて、パスを出す、淡々とパスをつなぎ続けているだけしかやっていない。私自身、遠藤選手のすごさをきちんと分かりたいと常々思っていたが、何がすごいのか、この機会に探ってみようと思い立った。
「なぜボランチはムダなパスを出すのか? 」(北健一郎著)によれば、まず、遠藤とプレイした選手は誰もが口を揃えるという。「すごさは一緒にやったら分かる」と。一本のパスをとっても、普通の選手があそこに出そうと思って出すパスが“既製品”だとしたら、遠藤選手のパスは、パスを受ける選手の利き足、スピード、得意な角度、相手との距離、その日の芝生の状態におけるボールの転がり具合、相手との距離感、トラップするのかダイレクトか、そういったところまで計算した上で出された“特注品”ということらしい。ルーカスという選手は、「遠藤には、ゴールに直結する60種類のパスがある」と語っている。その中からベストと思われるものを選んで、cm単位の正確さで的確に送り出す。遠藤選手は、とにかく、パスが緻密なのだ。
サッカーに限らず他のスポーツでも、トップアスリートは我々凡人には信じられないくらい緻密だ。例えば、


先日の全日本卓球選手権で初優勝した、福原愛。私などは「スマッシュ」という言葉しか知らないが、スマッシュに関して彼女が使う言葉だけで、「点(ディエン)」「發力(ファリー)」「扣殺(コウシャ)」「發死力(ファスリー)」などがあると聞いて驚いた。「点(ディエン)は表ソフトラバーで打つスマッシュで、力の入れ具合としては30%くらいのイメージ」、「發力(ファリー)は70%の力の入れ具合で、力いっぱいというよりコースをコントロールする感じ」、「扣殺(コウシャ)は一撃で仕留めるために、100%の力で打つ」、「發死力(ファスリー)は120%の力で打ちつける」と使い分けている。もちろん、これらはすべて中国語であり、技術用語が細部にまで行き渡っている中国の卓球界で育成されてきた福原選手ならではの言葉の使い方だ。細かく分かれた豊富な語彙によって技をより明確に表現できることは、頭の中でそれだけの緻密な意識が存在している証拠だ。本人も、「日本で日本語だけで育てられてきていたら、私の感覚では大雑把な感じになっちゃいます」(「Number」2012年1月26日号)と語っている。
遠藤選手の凄さに話を戻すと、彼は全力で走らない(ように見える)が、前述の「なぜ~出すのか?」によれば、それも実は彼の凄さを端的に表しているようだ。確かにテレビで見ていても、全力でダッシュする場面は皆無で、まるでジョギングでもしているかのようなスピードで“チンタラ”と走っている。しかし、全力で走ることは良いことばかりではい。スピードを上げれば上げるほどボールコントロールの精度は落ちるから、止める・蹴るが雑になってしまう可能性があるのだ。そこで、止まった状態で正確にプレイするために、パスが来る前に、頭を使って正しい場所を見つけて早めに2、3歩動いて止まっているのだ。緻密に考え、かつ的確な判断をしているので、フルスピードで走る必要そのものを彼はなくしているのだ。遠藤選手は味方がボールを出す前に既に走り終えているので、素人には動いていないように見える。でも実は2010年南アフリカワールドカップで、遠藤選手はチームトップの走行距離を記録するくらい走り抜いている。そして、止まった状態でプレイできるようにするという難しくも一層価値のあるプレイに挑んでいるのだ。遠藤選手は、とにかく、ポジション取りの意識が緻密なのだ。
トップアスリートの意識の緻密さで言えば、1998年の長野五輪で金メダルを取ったスピードスケートの清水宏保選手の言葉を思い出す。確か、「大学の頃に人体解剖に立会い、医学書を紐解いて人間の筋肉のすべてを理解した。1つ1つの筋肉を意識することができ、例えば腸の裏の筋肉『大腰筋』や、腸を覆っている『腸腰筋』といった部分まで意識して動かす事が出来るようになった」といったことを語っていた。私は当時強烈な衝撃を受けた。私のような一般人には、腸の裏の筋肉なんて知覚すらできなかったので、トップアスリートは、そんな緻密で繊細な感覚で勝負をしているのかと感動を覚えたものだ。
遠藤選手自身が著した「観察眼」(遠藤保仁、今野泰幸著)で遠藤選手は、世界で勝つためには、プレイの精度や意識の緻密さ、即ち “なんとなく”で行う雑なプレイをなくすことが重要と語っている。
「ピッチに立ってみると、Jリーグはいろんな意味でやっぱり緩い。プレスの速さ、球際の厳しさは足りないし、パスなどプレイ一つ一つの精度の違いも感じる。やっぱりミスが多い。Jリーグではなんとなく向かって行っても、相手がミスしてくれることが多いから簡単にボールを奪えてしまう。ワールドカップに出て来る強豪国は、「なんとなく」では通用しない。この意識の差を詰めていかないと、日本のレベルは上がらないし、世界で勝てるようにはならない。」
遠藤選手の緻密さは、予測、視野、スペースの使い方等、他にもたくさんあるようだ。そして、今回色々と調べてみて、遠藤選手の凄さがやっと分かってきた。その凄さは、確かに目に見えるところにはなかった。「頭の中」が圧倒的にすごかったのだ。
サッカー選手の凄さが、鍛え上げられたフィジカルやサッカーのテクニックや、あるいはサッカーに特有のプレイの質的な側面にあるのならば、それ以上私たちビジネスパーソンが直接参考にできることはあまりない。しかし、サッカー選手は、P.F.ドラッカーの言う「知識労働者(ナレッジワーカー)」なのだ。
最近サッカー選手の書く本やサッカーに関する本が次々とベストセラーになっているようだ。その多くは、心の持ち様に焦点を当て自己啓発を目的としたものか、あるいは、リーダーシップやマネジメントを題材にしたものだ。しかし、我々ビジネスパーソンが大いにもっと参考にすべきなのは、実は、「知識労働者」としてサッカー選手がどのように頭を働かせて仕事をしているのかという点こそではないかと思う。
「知識労働者」という言葉を生み出したドラッカーは、知識労働者と知識社会について次のように語っている。
知識労働者とは新種の資本家である。なぜならば、知識こそが知識社会と知識経済における主たる生産手段、すなわち資本だからである。知識労働者の特質は、自らを労働者ではなく専門家と見なすことにある。
知識社会としてのネクスト・ソサエティには3つの特質がある。
1. 知識は資金よりも容易に移動するがゆえに、いかなる境界もない社会となる。
2. 万人に教育の機会が与えられるがゆえに、上方への移動が自由な社会となる。
3. 万人が生産手段としての知識を手に入れ、しかも万人が勝てるわけではないがゆえに、成功と失敗の並存する社会となる。
これら3つの特質のゆえに、ネクスト・ソサエティは、組織にとっても一人ひとりの人間にとっても、高度に競争的な社会となる。(「ネクスト・ソサイアティ」P.F.ドラッカー)
まさにサッカーの世界は、知識社会としてのネクスト・ソサイアティそのものだ。我々も、だからこそ惹きつけられるし、だからこそ大いに学びたい。

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