【松村卓朗】社会の当たり前を変える

今朝(21日)は、震災発生後9日ぶりに少年とその祖母が救出されるという嬉しいニュースが朝刊の一面を飾っており、不安な報道が続いていた中で久しぶりの明るい話題を提供してくれていた。
しかし、震災の被害にあわれたり、あるいは原発からの避難で不便な暮らしを余儀なくされている方々は30万人以上にのぼっており、また、親しい人を亡くされたり、今なお肉親の行方が分からない人たちも数多く存在していることには変わりなく、そのことを思うと胸が締めつけられずにはおれない。
そのような中、日々自分にできることは何かを探し考えているが、しかし、細々とした節電と微々たる寄付ぐらいしか今までにはできずにいる。ただ、震災後は「当たり前」のことの大切さを身にしみて噛みしめる毎日を送っている。子供には、水を飲めることの有難さ、ご飯を食べれることの有難さ、暖をとれることの有難さ、等をいちいち説いている。
私が今回の震災で最も強く思ったことは、今後、社会の「当たり前」を変えていく必要性だ。
私は、組織開発に携わるようになった10年前、“組織”の「当たり前」を変えることを説いた。組織開発というのは、組織が普段は当たり前すぎて気づかなくなっていることに焦点を当てることであり、また、組織の変革を一過性の変化で終わらせないために当たり前を変えるまで行っていくことだと言った。
今回の震災では、“社会”の「当たり前」を変える必要性を強く感じている。今後は、我々が培ってきた組織開発の知見を、何とか“社会”の「当たり前」を変えることに活用していきたい。
今回の地震は、未曾有の規模だった。しかし、あらためて我々が認識すべきことは、言わずもがなだが、震災は、地震そのものの被害ではなく、2次災害によって引き起こされているという事実だ。2次災害は2つあって、1つは津波で、もう1つは原発だった。
原発の事故でクローズアップされたことは、我々の現在の生活は実は極めて不安定で、多くの人たちのリスクの上に成り立っているという事実だ。
東京の電力を賄うために、原発というコントロールが難しい技術に頼り、直接関係のない福島県の人たちをリスクに晒している。一方、我々の部屋の暑さ寒さは自動でエアコンが制御してくれるし、ピッとボタンを押せば風呂が沸く。
こんなリスクと引き換えに、こんなにも便利である必要があるのか。
ひとりひとりのこの「当たり前」のレベルを見直し変えていくしか、問題は根本的には解決できないのではないかと思う。
また、原発に関しても津波に関しても、“想定外”という言葉を随分聞いた。もちろん、津波は、想像をはるかに超えた規模だったことは間違いないだろう。また、仮に想定していた人がいたとしても、千年に一回の規模の津波のために、それだけのコストをかけても防波堤を作るべきという主張は、おそらく受け入れられなかっただろう。当時の「当たり前」が許さなかったろう。それに、自然を相手にありとあらゆることを想定し、未然に防ごうとすることは、現実的には不可能だ。
ならば、人間にできることは、“想定外のことが起こったときの対処の仕方”を、十分に考え準備しておくことだけだ。想定外を想定内にし未然に防ぐ努力だけではなく、起こってしまったときの対処の仕方の「当たり前」のレベルをあげる必要がある。今回の震災での一般人の対応は、世界に誇るべき話がいっぱいあって、日本の「当たり前」のレベルの高さに救われた人も多いと思う。しかし、陣頭指揮やマネジメントに携わる人達や組織の対処の仕方を見て、事前に準備していた「当たり前」のレベルが低すぎることに苛立ちを募らせた人が多かったのではないだろうか。
一つの“組織”の「当たり前」を変えるのにも、相当な労力が必要だ。“社会”の「当たり前」を変えるためには、それこそ、莫大なエネルギーが必要だろう。
ただ、「当たり前」は、我々ひとりひとりが少しずつ変えていくことで変わっていくものである。その変化を促すためにできることを、たとえ微々たることの積み重ねであっても考え実行していきたいと考えている。それが、震災が起きて10日経った今、自分がやるべきことの1つと思っている。