車椅子から日本社会のグローバル化を考える

皆さん、こんにちは。薫子は相変わらず日本とアメリカを飛び回る生活をしております。この職に辿り着くまで5度も転職したという「とんだ」経歴もあり(どういう経緯で今の職についたかはまたおいおいご紹介しましょう)、今年からブログのタイトルを「飛んだ人生」に変えました。このコラムでは「飛んだ人生」を送る中で見えてきたこと、思うことを徒然なるままに記述することにいたします。
昨年脳梗塞で倒れた父は今リハビリ病棟に入院してリハビリに励んでいます。定年後は日本棋院に通ってプロ棋士と碁を打つほど囲碁に熱中していた父なので、「退院したらまた日本棋院に行こうね」と誘ったら、「こんなみっともない姿では絶対外出したくない」とうつむいて言いました。そのとき「車椅子」というのはみっともない姿だと父は思っているのだなと感じました。また、仮に父が外出したいと言ったとしても、車椅子で本当に外出できるのだろうか疑問を持ちました。というのも、東京で車椅子の人を見る機会がほとんどないからです。毎日使うバスや電車には車椅子対応のマークがついていますが、10年以上乗っていて、車椅子に乗った人を見たことがありません。また地下鉄の駅によっては階段のみでエレベーターもエスカレーターもなく、研修終了後に成田空港に直行する予定であった私は25kgのスーツケースを引きずり、冷や汗と苦悩の汗をかきながら階段を上ったことがあります。こんなとき、車椅子に乗った人や杖をついている人はどうやって地上に出るのでしょうか。
車を運転できない私は、サンフランシスコでも毎日バスを使っていますが、3日に一度は車椅子の人が乗ってきます。バスの運転手も車椅子の人も乗客も慣れたもので、運転手がバスのステップを下げる、車椅子の人が乗り込む、前に座っていた乗客が立って後ろの席に移る、バスの運転手が座席を上げて車椅子のスペースを作る、車椅子の人が慣れた「足取り」で車椅子をバスのベルトに括り付ける、バスの運転手がステップを上げる、という一連の作業が、日常の当たり前のこととしてスムーズに行われます。とはいえ1-2分はかかるので、急いでいるときは「ああ、今日はアンラッキー。。。」と思うこともあったのですが、今は「車椅子で自由に外出できるなんて素晴らしい。よい一日をお送りください」と心の中でエールを送るようになりました。サンフランシスコでは、電動車椅子の後ろに荷物をくくりつけて歩道を颯爽と「歩いている」人を見かけることは珍しくありません。そしてそういう人達が特別人目を引くわけでもなく、ごく当たり前に街に溶け込んでいます。
アメリカは人種のるつぼと言われていますが、中でもサンフランシスコは多様性という意味ではぴか一の街だと思います。白人、黄色人、黒人、ヨーロッパ系、アジア系、ヒスパニック系、「○○系アメリカ人」という人達や移民が入り乱れていて、人種も肌の色も国籍も様々。男同士、女同士で手をつないで歩いている同性カップル、筋骨粒々の体にスカートを履いている人(女装趣味かトランスジェンダーだと思われる)も胸を張って誇らしげに歩いていますし、じろじろ見られることもありません。
ここではあまりにもいろいろな価値観が入り乱れているので、何が「まとも」で何が「異質」なのかを判定する基準がないのです。その結果、全てが「まとも」と受け入れられ、多様な人々が共存しやすい街になっています。
一方、日本は何が「まとも」か、そうでないかの基準がはっきりしていて、その基準に外れた人は「異質」と判定され、「異質」な人は「まとも」ではないから社会に受け入れられずに排除される、あるいはそこまで行かなくても、人からネガティブに見られる、という傾向が少なからずあるように感じます。父が「車椅子に乗って外出したくない」と言うのも、そういう人の目を恐れていること、また父自身の中に「障害のある人間はみっともない」という意識があるのでしょう。
父のように体に障害がある人が車椅子で自由に街を動き回り、バスや電車に乗って外出できる日本になってほしいと思います。男同士、女同士のカップルも人目を気にせず手をつなげる、肌の色が白くても黄色くても黒くても、太っていても、痩せていても、体の一部が不自由でもそうでなくても、みんな居場所があり、一人ひとりが輝ける社会。多様な身体的特徴、価値観、生き方などが、全て「まとも」と受け入れられ、共存できる社会。そういう社会こそがダイバーシティ、多様性を活かす社会であり、日本がグローバル化するというのは、そのような社会になっていくことではないか、ぜひそうあってほしいと思います。