【サッカーから学ぶ組織開発・人材開発:松村卓朗】:第1回 美意識がないと問題は見えない

今年2010年は、4年に一度の世界の祭典、サッカーのW杯、南アフリカ大会があった。子供の頃からの筋金入りのサッカー狂でこよなく日本代表を愛する私にとっては、好ゲームが多くかつ日本代表も大方の予想に反して活躍し、幸せに酔いしれた1ヶ月だった。無論、日本時間の深夜早朝キックオフの試合が続き体力的にはきつかったが。サッカーに興味がなかったという多くの人からも、「感動する試合が多かった」「日韓W杯より素晴らしいW杯だった」というような声を聞くにつけ、今年のW杯の思い出を書き残しておきたいと思った。
とりわけ、組織開発・人材開発に携わる私なりに、組織開発・人材開発の見地から、たくさんの新たな気づきをもらった。(職業病か、最近は、何を見ても何をやっていても、組織開発・人材開発と結び付けてしまうのだが。)サッカージャーナズムはプレイ面や戦術面の見地から、数々の分析や問題提起や情報提供をしているが、私は私の見地から、今回のW杯を通じて新たに得た知見や見えた視点を整理し、共有しておきたい。

今回は、今回のW杯を通じて考えたことを中心にしたいが、これまでにサッカーから組織開発・人材開発に関してたくさんのことを学んできたので、このような作業をきっかけにして、いつか、「サッカーから学ぶ組織開発・人材開発(仮題)」を上梓することを目標にして、1つ1つ書き進めていきたい。

【第1回 美意識がないと問題は見えない】
私の知り合いが、W杯2010年南アフリカ大会に行ってきた。私自身は、98年フランス大会、02年日韓大会、06年ドイツ大会と、現地に足を運んで観戦してきたが、今回は治安などの問題が心配だったのと、日本代表の活躍が期待薄だったために断念した。しかし、結果としては、周囲の大方の予想を裏切って、日本代表は2勝1敗でグループリーグを突破し決勝トーナメントに進むという活躍を見せた。その知人は日本に戻って来るなり連絡を寄越し、随分と自慢話を聞かされ、私は非常に悔しい思いをした。
その話の中で、彼は何気なく話していたのだが、とても興味をそそられる話があった。
日本代表の初戦は、カメルーンが対戦相手だった。カメルーンは、イタリアのインテルに属しヨーロッパチャンピオンズリーグを制したばかりのエース・エトーを擁し、その他の選手もアフリカ特有の身体能力の高さでヨーロッパのリーグで活躍する選手ばかりで、下馬評では日本は圧倒的に不利だった。しかし、日本は、組織的な守備が機能しカメルーンの攻撃を完封し、また、FWに本田を起用した布陣が当たってその本田が決勝ゴールを決め、1-0で勝利する。W杯直前のテストマッチでは4連敗中だったチームに、大きな自信をもたらした。結果的に「決勝トーナメントに行けたのはあの試合で勝ったことがすべて。チームの流れを変えた大きな試合。」と選手たちが異口同音に語る試合となった。

私の知人は、スタジアムで観戦し、日本が出場した外国で開かれたW杯の初勝利を、興奮の中で見届けたと言う。座席の隣には、一緒のツアーで行った、どこかの大学のサッカー部の先生が座っていたらしい。私がとても興味をそそられた話というのは、この先生が、本田が1点を決めた瞬間、ボソッと、「まあ、今のはトラップミスだったけどね。」と言ったと言うのだ。その話を聞いて、私は衝撃を受けた。
衝撃を受けた理由はいくつかある。まず、あの状況でそれだけ冷静にサッカーが見れるということに衝撃を受けた。私などは、その前の松井が切り返してセンタリングをあげるプレイのところで、もう身を乗り出して「行け」と叫んでいて、ゴールが決まった瞬間、その場で飛び上がって喜んでいた。また、この人はスタジアムにいたわけで、テレビでリプレイを見れるわけでもない中で、瞬間にトラップミスが分かったということにも少なからず衝撃を受けた。

でも衝撃の一番の理由は、その話を聞くまで、私には、「トラップをミスした」という事実が分からなかったことだ。つまり、見ていても、見えなかったことだ。正直、私は知人からこの話を聞くまでに、テレビでは連日連夜何度もこのシーンが放映されていたので、おそらく30回くらいは見ていたはずだ。それでも話しを聞くまで気づかなかった。むしろ、本田はピタッと綺麗にトラップをした、という印象で記憶に残していた。しかし、この話を聞いた後、テレビでリプレイを見ると、はっきりと本田のトラップミスが私にも見えたのだ。

問題というのは、自分の中で先に美意識があって、それとずれているから見えるのだ。この人には、「トラップというのはこうだ」というのがあるはずだ。それと違うから、見た瞬間、ミスだと分かったのだろう。私には、トラップの美意識が足りないので、何度同じシーンを見ても見えないのだ。
この人に、「なぜミスが見えたのか?」と問うても、おそらく、「見ていれば見えるだろう」としか言わない気がする。美意識があってはじめて、“見える”のだ。
同じ組織の中にいても、問題が見える人と見えない人がいる。よく、「問題意識を持て」というが、問題が見えるようにするために持たなくてはいけないのは、実は問題意識ではなくて、美意識なのだ。美意識がないために、見ているようで見えていない人は多い。

あるべき姿を描かないと、問題が見えてこないということもよく言う。しかし、私の知る限り、ビジョンや中計などのあるべき姿を描いていながら、それは全く無視され、各部や各人がそれぞればらばらの動きをしているという組織も少なくない。組織がある“べき”と説いているだけであって、各々の美意識にまで届いておらず、自分の基準になりえていないのだ。

先日、ある企業の管理職研修で、将来の自組織のグローバルビジョンを描くというテーマに取り組んだ。その中で、世界の何を問題と捉えるか、どのようなことを解決していきたいと思うか、というセッションを行った。貧困、飢餓、紛争、自然破壊、人口増加、等に対して、自社のソリューションを持ってどのように関わっていくのかを考えるセッションだった。

情報はあふれるほどある。職業柄、普段から世界の課題には接していると言う。しかし、あなた自身は何を問題と捉えるか、解決していきたいと思うかと問われ、多くの人が行き詰った。そして、「自分自身の問題意識を聞かれて、はたと分からなくなった」と言う。
グローバルのようなテーマに取り組んでいくとき、一見目の前のことから遠いので、自分ごととして考えにくい。世界観、すなわち美意識に照らして、各人の中で違和感が生まれないと、問題は見えないのだ。
そこで我々は、じっくり各人の世界観を問うていった。「どのような世界が“美しい”と思うか」。
グローバルな課題に取り組む人たちを見ていると、自分の中で生じる違和感から始まっている。見えてしまったから、取り組まざるを得ないのだ、といった言い方をする人が多い。実際に世界の課題の現場を知り、いても立ってもいられなくなったという人たちは多いだろう。そういった人たちは、実際に見ているのだ。しかし、我々のように、今日本にいて、そうした問題を“見る”ためには、現実を知ろうとすることも重要だが、どのような世界が美しいかをとことん各人が考え抜くことではないか。美意識とは人が美しいと感じる心の働きであって、問題というのは多分に個人的なものの見方なのだ。

先日、W杯が終わって代表監督を退いた岡田武史氏が、テレビの対談番組で次のようなことを語っていた。
「人間は、経済がよいときには、損か得かでものごとを判断しがちだ。経済が悪くなってくると、好きか嫌いかが判断基準になりがちだ。しかし、私は、美しいか美しくないかで判断できる人間と文化を育みたい。」
私も、組織の中の各人の美意識を刺激し、美意識があるがゆえに、各人各様の問題が見えてしまったという議論を促していきたいと思う。
そして、何より、美意識に彩られた日本サッカーを次のW杯で見たい。